
「さかなクン」として広く知られる彼の現在に至るまでの道のりは、一体どのようなものだったのでしょうか。
この記事では、さかなクン若い頃の知られざるエピソードに迫ります。
昔の子供時代から、彼が有名になったきっかけであるテレビチャンピオンでの活躍、そして気になる学歴や大学受験の話までを掘り下げます。
また、同級生である鈴木拓さんとの関係、実家での家族との心温まる話、お笑いサークルにいたという噂や若い頃イケメンだったのかという疑問にも触れながら、彼の経歴と現在を詳しく解説します。
結論!さかなクンの若い頃
時期・テーマ | 主なエピソード・情報 |
幼少期 | ・当初は働く車(特にゴミ収集車)や妖怪の絵を描くことに夢中だった。 ・小学2年生の時、友人が描いたタコの絵をきっかけに魚介類に強く惹かれ、図鑑を読み漁り、魚屋や水族館に通う日々が始まった。 ・母親は彼の「好き」という気持ちを常に肯定し、丸ごとの魚を買い与えるなど、興味を深く追求できるよう応援し続けた。 |
中学校時代 | ・「水槽(すいそう)がある」と勘違いして「吹奏楽(すいそうがく)部」に入部。 ・学校で飼育していたカブトガニの人工孵化に日本で初めて成功し、新聞に取り上げられた。 ・お笑いコンビ「ドランクドラゴン」の鈴木拓とは同級生。 |
高校時代 | ・テレビ番組「TVチャンピオン」の「全国魚通選手権」に初出場し準優勝(1993年)。その後5連覇を達成し、全国的に知られる存在となった。 ・スーパーの鮮魚コーナーや熱帯魚店でアルバイトを経験。 ・同級生の鈴木拓によると、授業中も魚の絵を描いたり、机の下で魚の剥製を整えたりしていた。 |
専門学校〜社会人初期 | ・東京水産大学(現:東京海洋大学)を目指したが受験に失敗し、日本動物植物専門学院に進学。 ・卒業後は水族館や寿司屋などでアルバイトをしたが、仕事の要領が悪く失敗も多かった。 ・アルバイト先の寿司屋の大将に頼まれ、店の外壁に魚の絵を描いたことが評判を呼び、イラストレーターとしての仕事のきっかけとなった。 |
有名になったきっかけ | ・「TVチャンピオン」での圧倒的な魚の知識と5連覇という偉業が最大のきっかけ。 ・2001年頃、テレビ番組のディレクターの助言で現在のトレードマークであるハコフグの帽子をかぶるようになり、唯一無二のキャラクターが確立された。 |
さかなクン若い頃の驚きのエピソード

- 子供時代の家族と実家での暮らし
- 最終学歴と進学しなかった大学
- 同級生鈴木拓との意外な関係性
- 昔の経歴とアルバイト経験
子供時代の家族と実家での暮らし
さかなクンのユニークな個性の原点は、彼の子供時代とそれを支えた家族にあります。東京都で生まれ、4歳の時に神奈川県綾瀬市へ移住しました。家族は、プロ囲碁棋士である父・宮沢吾朗九段、母親、そして2歳上の兄の4人家族です。
幼い頃のさかなクンが最初に夢中になったのは、意外にも魚ではなく働く車、特にゴミ収集車でした。その後、水木しげる作品の影響で妖怪に没頭するなど、一つのことに深く集中する子供だったことがうかがえます。
彼の人生を決定づける魚との出会いは、小学2年生の時。クラスメイトが描いたタコの絵に衝撃を受け、そこから魚類への尽きない探求が始まりました。この情熱を一番に応援したのが母親でした。魚屋で丸ごと一匹の魚を買い与え、息子の「好き」という気持ちを何よりも大切にしたのです。
学校の授業中に魚の絵ばかり描いていることを担任の先生から指摘された際も、「このままでいいです。あの子には好きなように描いて欲しいんです」と返し、彼の個性を守り抜きました。
この母親の深い理解と肯定があったからこそ、さかなクンは自分の好きなことを一度も恥ずかしいと思うことなく、突き進むことができたのです。
最終学歴と進学しなかった大学
さかなクンの学歴は、彼の探求の道が一般的なルートとは異なることを示しています。彼の最終学歴は、日本動物植物専門学院(現在は閉校)のアニマルケアー科卒業です。
出身高校は神奈川県立綾瀬西高等学校で、中学・高校時代には「水槽(すいそう)」があると勘違いして「吹奏楽(すいそうがく)部」に入部するという、彼らしいユニークなエピソードも残っています。
高校時代、さかなクンは東京水産大学(現在の東京海洋大学)の教授に憧れ、同大学への進学を夢見ていました。しかし、魚への情熱が深まる一方で学業がおろそかになり、残念ながら大学受験は叶いませんでした。
ただ、この道が閉ざされたわけではありませんでした。専門学校で学びながら魚に関する知識と経験を積み重ね、後の目覚ましい活躍が認められることになります。そして2015年、かつて憧れた東京海洋大学から名誉博士号を授与され、現在は同大学の客員教授を務めています。回り道はしたものの、彼は自身の力で子供の頃の夢を実現させたのです。
同級生鈴木拓との意外な関係性
さかなクンの学生時代を語る上で欠かせないのが、お笑いコンビ「ドランクドラゴン」の鈴木拓さんの存在です。二人は神奈川県綾瀬市の中学校・高校の同級生で、特に高校3年生の時には同じクラスでした。しかも、席は前の席だったそうです!
鈴木さんの話によると、当時のさかなクンは持ち物が全て魚関連グッズで、授業中に魚の絵を描いたり、机の下で魚の剥製を制作したりと、その頃から「お魚愛」は徹底していたようです。
二人の間には、今となっては笑い話となっているエピソードがあります。さかなクンが大学の一芸入試に落ちた際、鈴木さんがからかってしまい、普段は温厚なさかなクンが本気で怒ったことがあったそうです。この件について、鈴木さんは後にテレビ番組でさかなクンに直接謝罪しています。
近年の関係性を示す象徴的な出来事が、さかなクンの自叙伝を原作とした映画「さかなのこ」での共演です。この映画で鈴木さんは、さかなクンの恩師である「鈴木先生」役を演じました。この配役はさかなクン自身のたっての希望であり、二人の長年にわたる友情の深さを物語っています。
昔の経歴とアルバイト経験
「テレビチャンピオン」で脚光を浴びる以前、さかなクンの若い頃は、好きなことを仕事にするための試行錯誤の連続でした。専門学校卒業後、彼は正社員の道を選ばず、様々なアルバイトを経験します。
水族館、熱帯魚店、鮮魚店、寿司屋など、そのすべてが魚に関わる仕事でした。しかし、好きであることと仕事としてうまくこなせることは必ずしも一致しません。特に水族館での機械操作や、寿司屋での要領の悪さなど、多くの壁にぶつかったと語っています。
しかし、この時期の経験が後の活動の礎となりました。例えば、鮮魚コーナーの店長から大きなマグロを素早くさばく技術を目の当たりにしたり、魚を真水で洗わないといった知識を学んだりしたことは、彼の知識をより実践的なものにしました。
転機となったのは、アルバイト先の寿司屋での出来事です。大将に頼まれて店の外壁にタイやマグロなどの魚の絵を描いたところ、これが地元で大きな評判を呼びました。他の店からもイラストの依頼が舞い込むようになり、イラストレーターとしての道が拓けていったのです。この出来事が、メディアの注目を集める最初のきっかけとなりました。
年代 | 出来事 |
幼少期 | 働く車や妖怪に夢中になった後、タコの絵をきっかけに魚に目覚める |
中学3年生 | 学校で飼育していたカブトガニの人工孵化に成功 |
高校3年生 | テレビ番組「TVチャンピオン」の「全国魚通選手権」で準優勝 |
高校卒業後 | 日本動物植物専門学院に進学し、魚関連のアルバイトに明け暮れる |
1990年代後半 | 寿司屋の壁に描いた魚の絵が評判となり、イラストレーターとして注目される |
有名になったさかなクン若い頃の真相

- 有名になったきっかけはテレビチャンピオン
- お笑いサークルと若い頃イケメン説の噂
- 現在の活躍と大学教授としての顔
- 探求心が道を拓いたさかなクン若い頃
有名になったきっかけはテレビチャンピオン
さかなクンが全国的に有名になる最大のきっかけは、人気テレビ番組「TVチャンピオン」への出演でした。1993年、高校3年生の時に「第3回全国魚通選手権」に出場し、初出場ながら準優勝という好成績を収めます。
この時の活躍が視聴者に強い印象を残し、翌年から本格的に番組に参加することになりました。そこからの快進撃は驚異的で、圧倒的な知識量を武器に次々と勝利を重ね、見事5連覇を達成。その功績により殿堂入りを果たします。
この番組を通じて、彼の「お魚博士」としてのキャラクターが広く世に知れ渡りました。専門家も舌を巻くほどの深い知識と、誰にでも分かりやすく楽しそうに魚の話をする姿は、多くの視聴者を魅了しました。
さらに、2001年頃に出演した別番組のディレクターからの「印象が薄い」というアドバイスをきっかけに、現在のトレードマークであるハコフグの帽子をかぶるようになります。このユニークなスタイルが彼のキャラクターをさらに際立たせ、子供から大人まで、誰もが知る存在へと押し上げていったのです。
お笑いサークルと若い頃イケメン説の噂
さかなクンのユニークなキャラクターからか、彼の過去についていくつかの噂が語られることがあります。その一つに「お笑いサークルに所属していたのではないか」というものがありますが、調査した限りでは、さかなクンがお笑いサークルやそれに類する活動をしていたという事実を示す情報は見つかりませんでした。同級生である鈴木拓さんがお笑い芸人であることから、関連付けて噂が生まれた可能性も考えられます。
また、「若い頃はイケメンだった」という声も時折聞かれます。実際に高校時代の「テレビチャンピオン」出演時の映像などを見ると、現在の帽子をかぶった姿とは印象が異なり、精悍な顔つきの青年であることがわかります。
ただ、「イケメン」という評価は主観的なものであり、彼自身が容姿で注目されていたという事実は特にありません。むしろ、彼の魅力は昔も今も、魚に対する純粋な探求心と、そこからあふれ出る豊かな知識や人柄にあると言えるでしょう。
現在の活躍と大学教授としての顔
若い頃からの探求心を一筋に歩んできたさかなクンは、現在、多方面でその才能を発揮しています。タレントとしてNHK「ギョギョッとサカナ★スター」などの教養番組に出演し、子供たちに魚の魅力を伝え続ける一方、その活動は学術的な領域にも及んでいます。
前述の通り、2015年には東京海洋大学から名誉博士号を授与され、同大学の客員教授に就任しました。専門的な知識を活かして研究や教育に携わり、子供の頃の夢であった「水産大学の先生」という立場を、独自の形で実現させています。
さらに、彼の功績は国のレベルでも認められています。2010年には絶滅したとされていたクニマスの再発見に貢献し、大きな話題となりました。また、海洋環境問題への意識も高く、環境省の「サステナビリティ広報大使」や「プラごみゼロアンバサダー」などを務め、豊かな海を守るための啓発活動にも精力的に取り組んでいます。
タレント、イラストレーター、そして研究者と、いくつもの顔を持つ彼の活躍は、これからも続いていくことでしょう。
探求心が道を拓いたさかなクン若い頃まとめ

- さかなクンの原点は、一つのことに没頭する子供時代と、それを温かく見守った家族にある
- 幼少期はゴミ収集車や妖怪に夢中になった後、タコの絵をきっかけに魚の世界へ
- 母親は彼の個性を「そのままでいい」と一貫して応援し続けた
- 中学時代にはカブトガニの人工孵化に成功し、周囲を驚かせた
- 「水槽」と「吹奏楽」を間違えて入部するなど、ユニークな学生時代を送る
- 高校3年生で「TVチャンピオン」に初出場し、準優勝を果たす
- 憧れの東京海洋大学への進学は叶わず、専門学校へ進学した
- 卒業後は寿司屋などでアルバイトをしながら、魚の知識と経験を深めた
- アルバイト先の壁に描いた魚の絵が評判となり、イラストの仕事が増えるきっかけとなった
- 「TVチャンピオン」での5連覇と殿堂入りが、全国的な知名度を得る最大の転機となる
- ハコフグの帽子は、テレビ番組のディレクターのアドバイスがきっかけで誕生した
- 同級生であるドランクドラゴン鈴木拓とは、今も続く深い友情で結ばれている
- お笑いサークル所属の事実はなく、若い頃イケメン説は主観的な評価に基づくもの
- 現在は東京海洋大学名誉博士・客員教授として、研究や教育にも貢献している
- クニマスの再発見に貢献するなど、魚類学者としての功績も大きい